2013年04月12日

リスク評価と管理の分離についてのメモ


さて、現在の食品安全に関する日本のリスク評価と管理については、
リスク評価機関がが食品安全委員会
リスク管理機関が農水省と厚労省となっており、
このトロイカ体制によって
リスク評価とリスク管理が機能的にも組織的にも分かれた形となっています。

リスク評価と管理の分離については、
Red Bookと呼ばれる1983年のNRCによる報告書に
良く記載されています。



ところで、
農水省が行っているリスク管理検討会というものがあります。
http://www.maff.go.jp/j/study/risk_kanri/about.html


平成17年度の第二回会議の概要
http://www.maff.go.jp/j/study/risk_kanri/pdf/summary_6.pdf
から、

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Codexおけるリスク評価とは、独立した機関による評価であると紹介されたが、リスク管理機関の一部によるリスク評価というのは否定されるのか。⇒Codexの「リスク分析の作業原則」と「リスク評価の役割」という2つの文書において、リスク評価機関とリスク管理機関には、機能的な分離(functional separation)を求めている。また、リスク管理機関とリスク評価機関のコミュニケーション(interaction;相互作用)を併せて求めている。海外の例をあげると、アメリカでは試行錯誤の結果として、リスク管理機関の中にリスク評価を行う組織があるが、機能的には分離。ヨーロッパでは組織から分けているところがあり、例えば、ドイツでは、同じ組織でリスク管理とリスク評価を行っていたものを2つの組織に分離。あくまでもCodexが言っているのは、機能的な分離と相互作用についてであり、様々な形態がある。
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ふむふむ、
米国EPAでは評価と管理を両方行いますし、
機能の分離と組織の分離は別物だということですね。

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ノルウェーでは、評価機関と管理機関の組織を分離し、最終的な責任の所在が曖昧になって失敗したと言われている。日本もリスク評価機関とリスク管理機関に組織を分離したことがいいのかどうかについて、今後評価する必要がある。
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え、ええーっ!?

いまさらですが、そういう話は初耳でした。
この意見、超重要な意見だと思うのですが、
この意見に対しては特に返答が示されておらず、
その後の会議でもこの話題が取り上げられることはありませんでした。
このノルウェーの失敗事例についての詳細が知りたいです。

まあ組織の話は農水省単独でできることではありませんけど、
では一体、トロイカ体制の問題を議論できるのはどこなのだろう??
と疑問に思ってしまいます。

これが平成18年の話ですから、
3.11を経てこの組織の分離の問題は再燃してもおかしくないはずですね。


posted by shimana7 at 10:36| リスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月02日

カゲロウが死んで何が悪い?


水生生物保全に係る水質環境基準については
亜鉛とノニルフェノールに加えて、直鎖アルキルベンゼンスルホン酸が追加になるようです。
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=16182

最初にできた亜鉛の環境基準はもう10年も前になりますが、
いまさらまた追っかけ始めています。
基準値オタクの一員としては、
基準値をめぐるエピソードやドラマってやっぱり面白いなと思うところです。

基準値の科学的な解説自体も重要ですけど、
その裏側にある社会的なあれこれは
科学のみで語ることのできない「線引きの本質」をえぐりだすような気もするところです。


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朝日新聞2003年6月26日
水中の亜鉛規準 産業界から反発 答申見送り 「カゲロウが死んで何が悪い」
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/ugoki/ugoki_03/ugoki_03_06.html

 魚介類やプランクトンなど水中の生態系を守るため亜鉛の環境基準の設定を検討している中央環鏡審議会水環境部会で25日、産業界出身の臨時委員が設定に反対し、同日に予定されていた答申が見送られた。
 専門委員会がまとめた基準は河川が1リットルあたり30マイクログラム(マイクロは100万分の1)、海が同10〜20マイクログラム。イワナやヒラタカゲロウの個体数が減少した実験結果を参考に決めた。部会では、産業界出身の委員が経済に悪影響があるとして反対。委員の一人が「ヒラタカゲロウが死んで何が悪い」と発言したことから議論が紛糾した。
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「カゲロウが死んで何が悪い」
というのは(飲み屋ならともかく)審議会という場にあってはかなり衝撃的な発言ですよね。
でもこれ本当に言ったのかどうかが気になります。

この会議の議事録は環境省から公開されています:
中央環境審議会水環境部会(第8回)議事録
http://www.env.go.jp/council/09water/y090-08a.html

この中には「カゲロウが死んで何が悪い?」という言葉、
もしくはそれに類似する表現は出てきません。

実際には言っていたけど議事録には残らなかったのか、
それとも新聞記事での表現が誇張されたものだったのかはわかりません。
とても気になるところです。
posted by shimana7 at 22:18| リスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月09日

Solution-Focused Risk Assessment


いよいよ生態リスクでも始まる"Solution-Focused Risk Assessment"

Long Beach Special Symposium on 21st Century Risk Assessment to Kick Off Solution-Focused Risk Assessment Work Group
http://ww2.setac.org/globe/2012/october/lb-symposium.html

来週のSETAC北米大会(ロングビーチ)において、
"Solution-Focused Risk Assessment"のキックオフのための
特別シンポジウムが開催されるようです。

これは行ってみたかったなあ、残念。
Suter、BarnthouseやPosthumaとかの有名どころも
スピーカーとして名を連ねています。



Solution-Focused Risk Assessment、略してSFRAは
まだ聞きなれない言葉ですが、
ようは単に新しく名前がついただけで
内容は私がこれまで主張してきたことと全く同じです。

複数のリスク管理対策オプション(Solution)を考えて、
どのオプションを選択した時にリスクはどこからどこまで減るのか?
という効果を定量的に予測して、
効率的なリスク管理対策の選択に役立ててもらう
そういうためのリスク評価のことです。

今やっている環境研究総合推進費の課題でも
まさしくそのためのリスク評価方法の開発と事例研究に取り組んでいます。



詳細なレビューはこちら↓
Adam M Finkel (2011)
“Solution-Focused Risk Assessment”: A Proposal for the Fusion of Environmental Analysis and Action.
Human and Ecological Risk Assessment, 17(4), 754-787
http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/10807039.2011.588142

Finkelといえば、不確実性分析の人だと思っていたんですが、
かなり幅広い活動をされているようですね。

リスク管理における、リスク評価の活用の場面を
“How bad is the problem?”
から、
“How good are the solutions we might apply to the problem?”
に転換しよう、と主張されています。

そして、これまでの
リスク評価(無影響濃度、無影響摂取量の決定)

リスク管理(どうやってそれを達成するか)
という従来の流れを"old way"と表現しています。
(書き方が結構刺激的ですよね)


つづく、、、かも。
posted by shimana7 at 09:39| リスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月16日

社会人向けリスク講座


ぎょーむ連絡です。
静岡県立大学で社会人向けのリスク評価の講座が開催される予定です。

静岡県立大学の社会人学習講座
http://crms.u-shizuoka-ken.ac.jp/cont/75/

(引用)
静岡県立大学大学院経営情報イノベーション研究科附属地域経営研究センターは、社会人を対象とした大学院レベルの講座を開催しています。関連分野で活躍される会社員・公務員・教育関係者のスキル・アップやキャリア開発だけでなく、大学院に進学して研究分野を深めたい、高度専門職業人を目指したいという方には、最適な講座です。日頃の疑問や情報を補えるよう、講座では大学院経営情報イノベーション研究科で大学院生の指導をする教員やそれに相当する講師が、質問や相談に応じます。


安全のためのリスク評価入門
〜大震災後の社会を生きるための知恵〜
http://crms.u-shizuoka-ken.ac.jp/cont/75/120/

概要
 東日本大震災以後、私たちはあまり意識してこなかった「安全」を強く意識せざるを得なくなりました。「安全の判断」を行うためには、リスク評価を学ぶことが欠かせません。本講座では、(独)産業技術総合研究所などの研究機関でリスク評価に携わり、また震災後の福島で除染活動に関わっている研究者にリスク評価の手法を学びます。


私は農薬と食品についての事例を扱うことになります。
一方的なトークではなく、
ディスカッションタイムもあるというのが興味深いですね。
どんな人に受講していただけるのか楽しみです。
posted by shimana7 at 23:13| リスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月03日

ワークショップ議論<科学と社会編>


静岡県立大学 リスクガバナンスワークショップでの議論の続きです。
おこがましくも科学と社会編です。
リスク評価の部分に比べればかなり考えは荒っぽいです。
自分がこのような越権行為をしなくて済むように
社会科学者による整理が進むことを期待します。


<科学と社会編>

・リスクガバナンスにおけるコミュニケーションの役割とは?
リスクガバナンスは簡単に言えば
『何らかのリスク管理対策を「決めて」実行するための「仕組み」』
なわけですから、
その中のコミュニケーションはおのずと
「何かを決める」ことが目的となるのではないかと思います。

ただし、これはこれはかなり「狭義の」リスクコミュニケーション
であることは注意です。
それ以外の、例えば信頼関係を築くためのコミュニケーションは当然必要ですが、
それはリスクガバナンスに限定される話ではないでしょうから、
ここでは含めないことにします。


例えば、許容量をいくつにする、基準値をいくつにする、
それを時間的制約がある中で決めないといけません。

そうした場合、
基準値計算の考え方はこうです、
その考え方に考慮するパラメータはこうです、
パラメータの値はこうです、
計算結果、基準値案はこうです
という情報(選択肢やオプションも含む)をまず明示して、
そこから、それぞれのパートについて議論する、
という仮定が「決めるための」コミュニケーションではないかと思います。
そうしなければ生産的な話し合いは成立しないでしょうし、
時間的制約がある中で果てしない論争を続けるわけにもいきません。

現時点でそういった情報が公開されて議論がされてきたか、
と問われれば、
「全くなかった」
と言える状況だと思います。
いきなり結論が先に出てきて、
あとはひたすらその結論をディフェンスするだけ、になっています。

リスクコミュニケーションというと話が大げさにはなりますが、
「何かを決める」ということを目的とした狭義のコミュニケーション
(すでに決定したことを説得する、納得させることではない)
の位置づけも必要ではないかと考えます。


一番懸念されるのは「何も決まらない」ことです。
食品安全委員会が放射性物質の許容量を決められなかった、
など、決まらないことで悪い方向へ進んでしまうことを危惧しなければなりません。
(決めるためのプロセスが結局不透明な地下に潜り込んで、
だれかの独断で何かが決まってしまう)

世の中がどんどん何も決められない方向へ進んで行って、
結局生活に支障が出るようになってしまうでしょう。
その結果、内容の良し悪しはともかくとして
とにかく「決めてしまう」強い独裁者を求めてしまう、
という方向に働くと怖いですね。



・リスク論は行政の問題を科学が横取りすることでは?
それは現時点ではむしろ逆で、
科学が社会に都合の良いように利用されている面が大きいと考えています。
行政の決定においても、
科学的裏付けがあるという言い訳が欲しい場合があるでしょうし、
そういう場合に、
都合が良いように科学を利用することもあるのが現実ではないでしょうか。

ファンドの出し方などを見ていてもそのような方向へ進んでいる
(そういう研究にしかお金を出さない)
と思います。
一概にそれが悪いというわけではないですが。

反原発運動などの社会現象を見ていても、
科学を否定的に扱う割には
科学の中の自分たちに都合がよい部分だけを利用して、
理論武装しているようにも見えます。

科学だけじゃ決められない、でも科学を無視するとめちゃくちゃ、
そういう状況をちょっとでもましにするための作法が
リスク評価なのではないかと考えています。



・約束事が重要というが、約束事を決めるところでもやっぱり対立するのでは?
約束事を作れば物事はすっきりと解決する、
などというのは当然のごとく幻想でしょう。

実際には科学と約束事は二分できるものではなく、
どれだけのエビデンスに支えられているか、
という程度が違うだけなのです。

ただし、リスク評価には約束事
(ばっちりとしたエビデンスがあるわけではないが、
その周辺の科学的根拠はある程度存在する)
が付随する、という整理をすることで
議論がやりやすくなるなどのメリットが多く生まれると思います。

どのようなルールや約束事を採用するかで、
対立することはあるかと予想ざれますが、
そのような整理のないままぐちゃぐちゃな議論が続くよりも
よっぽど論点が明確になるのではと思います。



・「決める」という行為への責任はどうするのか?間違っていた場合、科学者が責任をとるのか?
責任の所在はもっと明確化されてもよいとは思いますが、
そこのペナルティがあまりに大きいと、
何も決めない、という最悪な決定をする方向へどんどん進んでしまう
という懸念があります。
なにも決めないリスク、というものも考慮する必要があるでしょう。

問題は、
科学者が決定に関与すれば科学者が責任を取るべき、
と言われる割には、
市民が決定に参加したなら市民がその結果の責任をとるべき
という問題提起はあまりなされないことだと思っています。

権利と責任とはセットでないと、
単に自分の利害のみから言いたい放題するだけになってしまう恐れがあるでしょう。
当事者意識を持つ、というのは科学者か市民かに関係なく
非常に重要なことになると思います。

(裁判員制度にしても、市民は法律の素人ですがいざ法廷に立てば、
「オマエ気に入らんから死刑」とか適当なことが言えなくなるのと同じです)
posted by shimana7 at 22:42| リスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月29日

ワークショップ議論<リスク評価編>


先日紹介した
ポスト3.11のリスクガバナンスを考えるワークショップ
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/event/workshop120326/index.html
が終了しました。

議論の内容と現時点での自分の考えについて、
備忘録代わりにメモしておきます。

テーマとして、リスク評価編と科学と社会編に分けてみます。
今回はリスク評価編です。


<リスク評価編>

・被ばく量の分布の把握は良いけれど、集団としての被ばく量評価と、個人としての被ばく量評価の方法は異なる?

これはきちんと調べると面白い and 必要な話。
現在行われている評価は前者の集団としての被ばく量分布です。
被ばく量分布の評価の際にはモンテカルロシミュレーションを使うのが一般的ですが、
ランダムサンプリングの仮定やパラメータ間の独立性などは
本当かどうかを確認することは重要だと思います。

自分たちが何気なく買っている食品がどの程度産地や濃度がばらついているのか、
品目内でのばらつきと、品目間でのばらつきを調べる必要があるでしょう。
例えば産地を考えると私の場合、
コメなどはほとんど茨城産のものしか食べていませんが、
野菜などは買うたびに産地が結構ばらついているのではと思います。

こういう情報は、放射性物質の基準値設定の際にも
市場での希釈率のパラメータをいくつに設定するかなどに
役立つ情報になるのではと考えます。



・検査の目的がリスク評価であるのはなぜか?
検査の目的が基準値を超過した食品を市場からはじくため
と設定してしまうと、
全品検査しなければ基準値以上のものが流通してしまうことになってしまい
ロジックとしては全品検査が必要となってしまいます。
(簡単にそれができるならそれでも良いのですが)

さらには基準値以上の食品を全部はじいたとしても
曝露量はあまり減りません。
これは新基準値の効果の試算が出ています。
中央値が0.051 mSv/年 → 0.043 mSv/年
(上記の集団としての評価です)
ということであまり効果はなく、
さらに、
何を減らせばリスクは減るのか?
ということがよくわからないまま検査に明け暮れることになります。

また、濃度の分布は対数正規分布の形をとることが多いので、
測れば測るほど低い確率で高い濃度が出てくることが予想されます。
真面目に測るほどごくまれに出てくる高濃度の扱いに困ることになります。

検査の目的がリスク評価のための濃度分布を知ること、
と設定すれば、サンプリング検査で十分目的が達成されますし、
基準値以上の高濃度で出てくるものの確率がどれくらいかもわかります。
これによって、全体の曝露によるリスクはどのくらいかが
把握できれば、どこを減らせばリスクが減るかも把握できますので、
効果の高い対策の実行が可能になります。



・外部被ばくはそこの少数住民だけがかかわる問題であるが、食品は全国に流通するので統一的に扱えないのでは?
私はこの問題は、統一的に扱うかどうかの問題ではなく、
日本国内でも地域によって状況が異なっている
という問題であると整理しています。
放射線の許容量はALARA原則に基づいて緊急時のものと平常時のものがあります。
(放射線防護の世界では現存被ばくとか計画被ばくとか言います)

でも日本全国で緊急時だったかといえばそれは怪しく
せいぜい北関東と東北太平洋側だけだったのかもしれません。
特に関西以西の地域にまで全国一律の緊急時の許容量や基準値を
適用するのは納得いかないのではないでしょか。
そういう観点(国内地域差をどうするのか)は
ICRPの考え方にあったのかどうかはわかりませんが。



・発がん確率の数字(例えば10万人に一人)の意味は?
発がんのリスク評価は通常安全側に偏った仮定で評価したものとなります。
なので、実際にその人数ががんになるわけではありません。
想定される範囲の中での最大値のような意味付けになるでしょう。

放射線の場合は広島・長崎の被ばく者の疫学データがもとになっていますので、
これは一度に多くの曝露を受けた場合になります。
現在の状況では長期間に受けるものなので、
その場合には総暴露量が同じでもリスクは低くなることが予想されます。

また、遺伝子の損傷
(非常に低線量まで直線的に影響が出ることがわかっている)
から発がんに至るまでには数段階の過程を経る必要があり、
その過程を全部進まなければそこで影響はストップします。
このようなことも計算上のリスクよりも実際の確率が低くなる要因です。

あくまで、発がん確率の計算は、
リスク管理の意思決定をするための一つの作法と考えるべきです。
(そういう約束事を経なければ何かを決めるための材料は得られない)
posted by shimana7 at 09:31| リスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月03日

リスクガバナンスワークショップ


ポスト3.11のリスクガバナンスを考えるワークショップ
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/event/workshop120326/index.html
というイベントが静岡県立大学で開催されます。
私も発表者として名を連ねています。

昨年11月に日本リスク研究学会で開催した若手によるワークショップで知り合った
上野雄史さんが主催となって声をかけていただきました。

メンバーを見れば仲間うちの出張セミナーのような感じもありますが、
科学哲学、STSな方もいますし、面白い議論ができればと思っています。


あと、こういったパッケージ化した出張セミナーがどの程度需要があるのかは未知数ですが、
ニーズのあるところには今後なるべく行きたいと思っています。
そんな動きもぼちぼちとあるようです。

posted by shimana7 at 23:06| リスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月30日

レギュラトリーサイエンスの記事


レギュラトリーサイエンス(規制科学)文脈のネタです。

レギユラトリーサイエンスとは何か?米国と日本における概念形成の背景
Sheila Jasanoff教授インタビュー
臨床評価 39(1), 167-180, 2011

この文章が面白かったのでメモがてらに内容を紹介してみます。
彼女はいわゆるSTS(科学技術社会論)分野の方(かなりの大御所?)のようです。

彼女は1987年(内山充氏が日本でレギュラトリーサイエンスの概念を提唱した年)に、「政策関連科学の境界線をめぐる論争」という論文を書いて、レギュラトリーサイエンスという言葉は使っていないがほぼ同じ概念を書いている、ということのようです。

トランスサイエンスとレギュラトリーサイエンスは全く別物と言い切っています。前者は科学で答えを出せない領域を扱うもの。後者は「政策立案を進める努力の中で出てくる間題に解答を与えようとする科学」と書かれています。

彼女の考えとして、科学者が社会に関わる際に、不確実性のある事柄の意思決定に対して「それはトランスサイエンスの問題だから答えられない」とは言わずに、自らのデータに基づき未来の不確実な問題に最良の解答を提供することに変わってきた、ということなのです。

文章中で、レギュラトリーサイエンスはバイアスがかかりやすく客観的でないという考え方に懸念を抱かれています。レギュラトリーサイエンスにおいては、何をもって客観的とみなすかを決定し、何を取り組む目標とするかを検討すること自体が研究課題となる、ということで、やはり、評価の際のルールや決め事、推定に用いられる仮定などを決めるプロセスこそが重要となるということですね。

おもしろい言葉だなと思ったのが以下のもの:
「レギュラトリーサイエンスは真実を追求するものではなく、その目的は"serviceable truth"(使える真実)を獲得することです。」
「"serviceable truth"は、物事を前に進めるために適切であるべきですが、絶対的、恒久的である必要もなく、自然法則のようである必要もあのません。政策を立案するのに適切であればよいのです。政策決定においては、そのような種類の真実を扱い、目的が達成されています。」


以下は感想です。
私は"使える「真実」"というのが適切かどうかには疑問がありますが、
なんとなく言いたいことはわかります。
目的が違うと評価のアプローチ(テクニカルなもの)がかなり変わってくる
ということをよく感じるからです。

例えば何らかのモデルを開発する際に
漠然と学問的に取り組んでいる人は、
考えうるプロセスがすべて取り込まれているかや
推定地と実測値と合うかか合わないかだけを追及するのに対して、
規制科学的アプローチでは
そのモデルでどんな問題が解決できるのかどうかを追究するわけです。

これらは一見同じようなことをやっているように見えて
目的もアプローチも全く違うので
議論が全くかみ合わないことがよくあります。

はやくこの違い(真実追及型科学と規制科学の違い)
が広く認識されないと
リスク評価やリスク管理の意思決定に不幸なことが多く訪れてしまいます。

posted by shimana7 at 00:53| リスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月28日

EUのレポート


今日の某所での打ち合わせでも出てきたEUのレポート
「Improvement of Risk Assessment in View of the Needs of Risk Managers and Policy Makers」
http://ec.europa.eu/health/scientific_committees/environmental_risks/docs/scher_o_154.pdf
は読んでおいたほうがいいかなあと思いました。

食品安全情報ブログでも紹介されていました。
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20111222#p5
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■[EU]リスク管理者にとっての必要性の観点からのリスク評価の改善に関する予備的意見にパブリックコメント募集
Public consultation on the preliminary opinion concerning Improvement of Risk Assessment in View of the Needs of Risk Managers

http://ec.europa.eu/health/scientific_committees/consultations/public_consultations/scher_consultation_07_en.htm
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このブログ記事の中で紹介されていた結論
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・リスク評価の結果はもっと政策にとって妥当性があるものである必要があり、そのためにはリスク評価者とリスク管理者の間、およびリスク管理の選択肢の評価についてより多くの対話がなされるべき。

・リスク評価報告書を以下の点で改善すべき:異なる可能なシナリオの評価を含む;最も感受性の高い亜集団や種に注意しながらリスクのある集団や生態系の全体を十分性質決定する;不確実性について明確に表現する;根拠のない仮説を用いた場合は明確に開示する
-----

は私などがずっと主張してきたこととほぼ同じです。
・リスク評価とリスク管理は別物ではなく表裏一体
・リスク評価は複数のリスク管理対策シナリオの効果を評価するところまでを含む
・科学的事実と仮定や約束事による推定を分けて示す
・推定の不確実性を定量化して示す

なぜかというと
「それがリスク管理に最も役に立つリスク評価になりうるから」
です。

こんな感じのレポートの日本版を作りたいなあと思います。
そういう考えを普及させるためにはある程度権威付けも必要。
そのための枠組みつくりの話などを今日はする機会がありました。

ぼちぼちっと活動していきます。
posted by shimana7 at 22:07| リスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月01日

給食の基準値の根拠は?


こんなニュースを見つけました。

給食に放射能基準 1キロ40ベクレル 東日本17都県
http://www.asahi.com/national/update/1201/TKY201111300868.html
----
食品の放射性セシウムによる内部被曝(ひばく)の許容線量については、厚生労働省が現行の年間5ミリシーベルトから1ミリシーベルトへ5倍厳しくする方向で検討している。文科省が今回給食の目安を決めたのは、この基準見直しを見越した措置だ。

 現行の暫定基準は、飲料水や牛乳・乳製品で1キロあたり200ベクレル、野菜や肉、魚、穀類は500ベクレルだが、文科省は「安全サイドに立ち、厳しい方(200ベクレル)の5分の1の数値を採用した」と説明している。調理前の食材を品目ごとに検査することを想定している。
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このニュースの中にも、
「リスク管理の失敗学」で取り上げたことがいくつか重なります。

以前に早野龍五氏が提案されてましたが、
食材を品目毎に調査するのではなくて
調理済みの給食そのものを検査する隠膳調査方式の方が
実際の被曝量がよくわかって良いと思います。

調理前の食材を品目ごとに検査する
というのは、どうも基準値超過した食材をはじく、
という前提があるようにも思えます。
「基準値超過した食材をはじく」ことを検査の目的としてしまうと、
また全品検査思考まっしぐらになってしまい、
後々困ることになります。
そうではなくてあくまでりスク評価のためのモニタリング調査
という位置づけにした方が有効性は高まるでしょう。
このことをリスク管理の失敗学として取りあげました。


また、給食の基準値をもし作る場合、
単に現在の基準値の厳しい方(200Bq/kg)を単純に1/5する、
というのはまた混乱が広がりそうです。
基準値の計算はそんな単純なものではないからです。
(市場での希釈率とかいろんなファクターが入っているのですよ!)
基準値の計算方法をきちんと追いかけて、
新しい許容量から計算し直した方が根拠を説明しやすいでしょう。

というよりも、厚労省と文科省が別々のダブルスタンダードを
作っていること自体が連携不足もしくは縦割りの問題を含んでいると思います。
これもリスク管理の失敗学で取りあげました。


ここでは独自に基準値を試算してみることにします。
食品由来の追加被曝の新しい年間許容量が仮に1mSv/年になったとします。
(この値の是非はとりあえず置いておきます)
これを朝食、昼食、夕食で3等分し、
0.33mSv/年を給食(昼食)に割り当てます。
(おやつを加えてもいいですけど。。。)
給食1食分の全体量が500g程度とし、
Cs134とCs137が同割合で存在すると仮定して計算します。
そうすると放射性セシウムが150Bq/kgの給食を
毎日食べ続けた場合に追加被曝が0.32mSv/年と計算されます。

追計算はココでできます↓
http://hp.vector.co.jp/authors/VA047235/radiation.html

少なくとも基準値設定の根拠の説明として、
こういう説明を「事前に!」しておかないと後で困りますよ
(特に基準値超過が見つかった場合)
ということもリスク管理の失敗学として取り上げました。

取り上げたそばから同じような事例がボコボコと出てくるのは
悲しい思いがありますが。。。
posted by shimana7 at 22:41| リスク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする